2011年10月13日木曜日

カントの思い出 20111012 6回目の月命日

カント:「おやじ元気出せよ!」

6回目の月命日ではあったが、カントパパは不調につきブログも更新できず。お花がきれいだったのに残念。

10/7に飾った時は、赤いカーネーションがきれいだったが、もう弱ってしまった。
白い菊が残った。これが意外と元気。夏場のものは持ちが悪かったがこの菊はあたりだった。
でも、嫁さんがいつも1000円おまかせを500円にしたせいか少しさびしい。

来週土曜日からキッチンとリビングの改修工事を予定しているため、家財荷物の準備移動の為に八畳間にあったカントの祭壇はカントパパの部屋に移った。
すると途端にお線香をあげるのがカントパパ一人になってしまった。嫁さんはカントパパまかせだそうな?父母は遠慮したか?ロードバイクなどメンテ中の部屋は少し散らかっており勝手に踏み込まれるのはいやだが、ほっておかれカントがかわいそうだとも思う。勝手なカントパパである。


カントパパ   : 「おまえを忘れたわけじゃないんどゾ」
天国のカント : 「おやじ、そろそろ立ち直れよ!」
カントパパ   : 「うん・・・・・」

2011年9月21日水曜日

カントの思い出 「ギャランVR4」 20110921

今の乗っている車(プログレ)の前(レガシーランカスター)の前の車の写真がでてきた。
おそらく引き取りの前に記念にとったものだ。


思えばギャランVR4を手放しワゴンタイプのレガシーにかえたのも、カントをゆったりのせられるという理由からであった。カントもギャランには半年くらいは乗ったのかな。いつも後部座席に固定したゲージの中で小さくなってた。大きくなると少しきゅうくつなってしまい、レガシーへと乗り換え。
いま考えるとカントは贅沢なワンこだ。

さて、いま思えばギャランもいい車だった。
独身のころスキーの大好きだったカントパパはスキーシーズンには毎年約一ヶ月分の日数スキー場に足を運んでいた。当然その足は自動車。その時4WDのギャラン+スタッドレスはすごく頼もしかった。一番すごいと思ったのは雪道での下りでの安心感。
当時スキーの帰りは雪道の山中での渋滞することがままあった。原因は十分な準備もしないままFRにチェーンを付けてオッカナビックリ走って後ろに渋滞をつくるやからの車。5~6台の先の車がこれでも対向車が来ないと確認できればバンバン追い抜きがこの車は可能だった。下りでもほとんどブレーキは踏まないしろ、シフトダウンした際にタイヤが滑り始めるのは雪道ではよくあること、それをいい塩梅でコントロールしてくれるのがギャランだった。まあ若かったから出来たんだが(苦笑)
ギャランVR4に敬意を表してすこし当時の資料を載せておこう。

写真は RALLY-M より、解説は 三菱自動車 より


(以下 引用)
1987年よりWRC(世界ラリー選手権)は年間2500台以上生産される市販車をべースとするグループA車両により争われる選手権となり、市販モデルの 外観を改造してはいけないなど、多くの制約がラリーマシンに課されるようになった。そこで各メーカーは、競技モデルを見据えた市販モデルの開発を行なうよ うになり、三菱も他メーカーと同様にラリー参戦を視野に入れた市販車の開発に着手した。 そして開発されたのが、DOHCの4G63型エンジンとフルタイム4WD機構を備えた「ギャランVR-4」だった。ギャランVR-4は1988年のニュージーランドラリーに篠塚建次郎の手によりデビューし、11月のRACラリーで、三菱にとっては83年以来となるWRCのヨーロッパイベント復帰を飾った。先代モデルのスタリオンから4WD機構などの技術を受け継ぎ、ギャランVR-4はWRCとAPRC(アジア・パシフィックラリー選手権)に出場、APRCの初年度となったこの1988年には、篠塚建次郎のチャンピオン獲得の大きな原動力となった。 続く1989年にはアクロポリスラリーにおいて総合4位でWRCポイントを初獲得し、1000湖ラリーでは1976年サファリラリー以来のWRC優勝を三 菱にもたらした。その後もRACラリーで優勝を飾り、この年、ランチアに次ぐ2勝を記録した。1990年には優勝こそなかったものの、2戦で2位入賞、マ ニュファクチャラーズ・ランキングで3位に入った。また、この年はプライベート勢の活躍も目立ち、WRCコートジボアールラリー(旧称:バンダマラリー) でP・トジャックが優勝し、その基本性能の高さを実証した。ギャランVR-4は1989~1990年もプライベート勢がAPRCに参戦し、R・ダンカート ンが2年連続でランキング2位の好成績を残した。
(引用 終)

かっこよかったな。
ギャランの真骨頂はもうひとつあったのを思い出した。結婚前、遠距離〇〇だったカントパパは週末はいつも高崎へ行っていた。冬はいつも高崎経由で初心者だった今の奥さんと宝台樹スキー場へ通った。その時もギャランは大活躍。この車がなかったら続かなかったろう。

そういえば、カントパパは河辺駅前の三菱に篠塚健次郎が当時来た時にもならんで握手をしに行った。

PS
今日の東京は夕方は台風で強風。家が揺れていた。二階のベランダのビニールの温室が倒れ、観葉植物の鉢がいくつか割れた程度で済んだ。
被災した地域の皆様には一日も早く日常の生活に戻れることをお祈り申し上げます。
18時半ころには収まったが、気象庁のレーダーの写真を記念に貼っておく。



2011年9月16日金曜日

カントの思い出  20110911 「思い出の野尻湖へ」 その4

カントが旅立つ前はTVのポチたまのだいすけ君が行くのコーナーはあまり興味がなかった。
しかし近頃はだいすけ君の番組に目を細めてしまう自分に驚く。
ラブラドルレトリバーを見ると無性に愛おしくなってしまう。

野尻湖から帰って、偶然あって遊んでくれたあのワンコのことが気になってを調べてみた。
以前カヌーでカントと遊んだ湖畔は地図の右上の青のマークのあたり。


みどりのピンがあのワンコのいたところ。
そのワンこが気になったカンとパパは、そのラブラドールレトリーバーについてネット上に何枚かの写真を見つけた。
「スピンネーカー」さんHPより
「チビゴルレオンの育児日記」さんより
「スピンネーカー」さんHPより
そして、今回写した写真は

写真から推測すると、リゾートハウス スピンネーカーさん(地図の緑の押しピン)の看板犬 来夢くんではないかとおもわれる。
來夢くんありがとう。
次に野尻湖に行く時は必ずお店によって君にあいにいくよ。

2011年9月14日水曜日

カントの思い出  20110907 「思い出の野尻湖へ」 その3

湖の反対側、ナウマンゾウ の博物館の周辺の湖畔の景色。



野尻湖の湖畔はほんとうに美しい。 カナダの観光写真をなぜか思い出す。

右側に向かい合うゾウのオブジェが

野尻湖のナウマンゾウは有名だが、湖畔にたくさんあるナウマンゾウのオブジェについては知らなかった。9時過ぎにナウマンゾウの博物館の駐車場に車を入れ周辺を散策した。少し歩いただけで ・・・・・・






喫茶店「ぼーしや」前の帽子を被ったゾウ


ナウマンゾウ博物館の駐車場にオブジェの案内がありました。



そういえば「ぼーしや」さんには以前うかがったことがあった。そうだ、「風花」の紹介で。


「森を渡る季節 - 信州野尻からの手紙」
いけみや健一 著   クロスロード選書 

おもえばカントをつれてはじめて野尻湖に行った14年前、今は廃業して無くなってしまったけど、大好きだった「風花(ふうか)」というペンションがあった。急なお休みで当時犬連れで泊まれるところがなくって、出発日の前日に最後の最後ガイドブックで偶然見つけ電話交渉の末泊めてもらったペンションだった。当時は野尻湖が長野県のどのあたりにあるのかすら良くわかっていなかったカントパパにとって、ほんとに偶然の縁だった。
 
野尻湖の南 針ノ木池の近くにあり、ご夫婦が本当にいい人で奥さんの料理が本当に本当においしかった。ユキちゃんという真っ白い犬がいてカントとも仲良くしてくれた。その後何回うかがったんだろう。延日数でいえば1ヶ月以上になると思う、本当によくしてもらった。
カントパパにとっては第二の故郷のような場所だった。廃業と連絡があったときすごく残念で、その後周辺のペンションも何箇所か泊まっては見たが「風花」の居心地の良さには及びもつかなかった。

野尻湖に少し縁が薄くなったのも「風花」の廃業が原因。その後何回か元ペンションだった建物の前に車をとめてみたことがあったが声をかけるわかにもいかない。今回の野尻湖への訪問でも建物の前をとおってみた。偶然奥さんが出てこないかななどと有りもしない偶然を期待してだ。


以前「風花」のご主人に、「ぼーしや」のご主人がこの本を書かれたと聞いて、野尻湖に来る以前から偶然自分が好きだった本であったことに驚き、何か不思議な縁を感じた覚えがった。
また読んでみようかな。

2011年9月12日月曜日

カントの思い出  20110912 「思い出の野尻湖へ」 その2

美しい湖畔でゆっくり朝食をとってから、湖畔を時計と反対周りに帰ります。

そこで楽しいことがあった。
若い雄のラブラドール・リトリバーに会った。



レストランの裏の駐車場にロングリードで繋がれていた。
はじめ声をかけた時は警戒していたのに、カントパパの「来い」の一言で駆け寄ってきた。
もう態度が一変でラブラドールらしいヘロヘロ犬に戻りました。
はてはこの始末・・・
マウンティングされるカントパパ

よほど嬉しかったみたいです。
あんまり遊んでもらっていなかったのかな?少し太めだし。
それともご主人とこんな感じでいつも遊んでいるのかな?

いずれにしても、若いラブの力は強い。
足が引っかき傷でミミズ腫れに(笑)、若いラブではよくあるんです。カントも昔はこうだった。


カントパパには2年ぶりの野尻湖に喜んだカントが魂がこのワンこに乗り移ってパパに甘えてくれた様な気がしました。
帰りに「もう帰っちゃうの?!」と訴えるようなワンこの目が少し辛かった。
ワンこありがとう。とっても楽しい思い出。


*

2011年9月11日日曜日

自転車 について

この自転車を買ったのはずいぶん昔のこと。
そのころかなり人気があった ARAYAの Maddy Fox シリーズ
「アラヤ Muddy Fox MF26EXP-K (1990年製)」
この自転車はなんとか持ち続けている。当時は8万位はしたのかな?
軽くて取り回しが非常に楽な自転車。

MF26EPX-E
TANGEのクロモリフレーム
しばらく放っておいたらシフターが動かない。シフトワイヤーのカバーがリアディレイラーに入るところで折れてしまいワイヤーが引けなくなっていた。

これはいかんということで、ワイヤーを交換しようと、ついシフターをいじったところ壊してしまった(泣)。しょうがないので買ったのがこれ。


シマノ デュアルコントロールレバー Deore XT ST-M750
サイクリーにて5800円(送料別)で入手。
実はこれも古いものたぶん2003年ころの発売らしい。だが古い1990年製の自転車にはもったいないレベル、致命的なのはスプロケット(CS-HG70)が7速なのにこのシフターは9速用である。
普通の人はこの組合せではおそらく取付はしない。でもカントパパは怖いものしらずの素人!
とりあえずはずれないようにリアディレイラーを調整して付けてしまった!もちろん自分で!
プロスケット側の1速と7速に入れるときにこぐタイミングを遅くして注意すれば、ご近所を走るには十分です。小気味良く軽い力で変速してくれて前のDeore DX(ST-M071) よりはいい感じ。

Deore DX に敬意を表して 当時のこのシリ-ズの写真をのせておきたい。



この成功に気を良くして、また交換したのがこれ。

後輪用
前輪用
ブレーキである。シマノ Deore LX BR-M580 ヤフーオークションで2900円(送料別)で落札
標準のMuddy Fox MF26EXP-K にはDXのカンチブレーキ(BR-M650)がついていたがワイヤーも錆びてしまいなんともしょぼいし、カンチブレーキは構造が単純なのは良いがセンターを取るのが意外とうるさい。ワーヤーのセンターをきちんと引いてやらないとブレーキの片効きがひどかったからだ。今度のブレーキはいわゆるVブレーキというタイプだが近頃のMTBはディスクブレーキが主流になっているとか・・・・・。知らなかった。おはずかしい。
最終の調整は未だしていないがとりあえずの取付でも良く止まるし、逆にパニックブレーキではタイヤがロックしそうである。

シフターとブレーキを交換するといでに、前後のタイヤのハブ軸のグリスを交換し、さらについでにチェーン Z7RB 116LINK(シルバー)KMC 7~8 SPEED)も交換した。シマノ CN-HG70のかわりである。
KMC 7~8速用 
なんだかんだいいながら、シフターやブレーキの主要部品以外にシフト&ブレーキのワイヤーさらに「チェーン抜き」工具まで、いやはや1万円近くかかってしまった。
でも、またこの自転車に愛着が湧いたのも確か。


+

2011年9月10日土曜日

カントの思い出  20110907 「思い出の野尻湖へ」 その1


 野尻湖へ行ってきました。
前日の夜から徹夜で車で走って、朝の7時前に到着。写真の撮影には日差しが斜めから差し込むのでひときわ美しい時間です。

カントとカヌーで遊んだ思い出の場所です。
3年前の同じ場所 バテバテのカント

後ろの同じ看板が朽ちてきてさびしい



車の場所はカントの写真よりは少し前ですが、後ろの電気(?)の設備が見えます。拡大して見ると稲の生育状態からみると上の写真は8月初旬でしょうか。


 ここの景色はどこを見てもカントの思い出がいっぱいです。
帰りに水面を渡る風にまかせてカントの分身を少しパラパラと残してきました。
暑い夏は先に行った友達を呼んでここで水遊び。それから、それから、雪深い冬は風花のユキちゃんと一緒に遊ぶんだよ。パパはまた会いに来るから。

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